由緒沿革
長谷院は、寛永八年(1631年)に開基長谷川式部少輔藤原守知(一説に長谷川三左衛門利十郎)により、芝(現在の港区虎ノ門)の本寺である光明山天徳寺の第十三世堪蓮社忍譽源受上人を請じて開山として創草されました。
山号を寶雲山、寺号を慈光寺、院号を長谷院と称します。
長谷院の名は、開基長谷川氏の法号である長谷院殿前吏部虎峰崇隆大禅定門に由来しています。
当時の境内地は、天徳寺の内にあって、東西二十間、南北十四間、総坪数二百八十坪でありました。
その後、数回の火災に遭っています。
即ち、明和三年(1766年)十月十日に自火。
嘉永三年(1850年)二月五日に麹町よりの延焼により、堂宇、什宝、記録等、烏有に帰し、僅かに本尊仏、脇士、過去帳等を残す。
大正十二年(1923年)九月一日に関東大震火災にて類焼。
その後、昭和十二年(1934年)三月第二十四世代、本堂庫裏再建。
平成十六年(2004年) 7月第二十六世清誉英明代に現在の江戸川区松本のこの地に移転し、現在に至っています。